学問のすヽめと 赤穂義士



「学問のすヽめ」は全17編から成り立っており、毎編20万部が売れ17編総てで340万部にもなり、本邦初のミリオンセラーとなった。
それゆえ明治初期の民衆に対し多大な影響を与えた。
なおこの稿は1978年に改版発行された岩波文庫「学問のすヽめ」に依っている。
「学問のすヽめ 」 第6編が出版されたのは明治7年2月であり、第7編が出版されたのは明治7年3月だった。発行されるや民衆は激昂し攻撃罵言が澎湃として湧き起こった。

そして 同明治7年秋に至ってそれが頂点に達し、脅迫状が到来するのみならず身辺が危うい状況に陥った。 それゆえ著者は何らかの対応を余儀なくされ、明治7年11月7日朝野新聞紙上に慶應義塾五九楼仙万の筆名で寄稿した結果漸く攻撃が鎮まった。

学問のすすめ第6編と第7編において著者は何を主張し、そして民衆は書かれた内容のどの部分に憤ったのかを改めて考察することにする。

第6編に書かれた内容の要約

1 政府は個々の国民の名代であり、それゆえ政府が立法した法律は国民の総意によって定められたものと擬制されるから、国民はその法を遵守し、そして国家の保護を受ける。

2 犯罪被害者による私裁(自救行為)の禁止。

3 犯罪被害者の正当防衛を認めるが、私人による現行犯逮捕後は犯人の身柄を直ちに政府機関に渡すべし。

4 上記要諦の結果として、仇討ちは良くない。したがって吉良を殺した浅野家の家来を赤穂義士と唱えるのは間違っている。

5 天誅と称して行う暗殺は最悪である。 


第7編に書かれた内容の要約


1 政府によって立法施行された法は、たとえ愚なるも或いは不便であっても守らなくてはならない。

2 主権は人民にあり、その権利を政府に委任している。それゆえ戦争を起こすことも、外国と条約を結ぶことも政府に権利があり、政府に関係無き者はその事を評議してはいけない。

3 国家運営のために必要な税金を払う際に不平顔をしてはいけない。 税金を払って政府の保護を買うほど安いものはないからだ。

4 政府がその分限を越えて暴政を行った場合、人民がなすべき対処法は3通りある。
  つまり ① 節を屈して政府に従う ②力を以て政府に敵対する ③武器や腕力を用いず正理を唱えて政府に迫ること ・・・であるが、
  このうちの③が最善である。

5 世に忠臣義士として評判の高い者がいるが、世に益することが無い点で評価できない。
  権助なる下僕が主人の使いに行き、1両の金を落としたためにその責任を取って並木の枝にふんどしを掛けて首吊りをした事例と、忠臣義士がその身を捨てたのは、その死が文明に益することが無いという点で行動価値は同じである。

なお忠臣義士とは誰をを指すのか第7編には書かれていない。この当時 楠公権助論として物議を醸したが、楠木正成の名は全編のどこにも書かれていない。
いっぽう第6編で赤穂義士については58頁に1頁全体を使って記述しており、おそらく赤穂義士を念頭に置いたものと考えられる。


「学問のすゝめ」第6編と第7編に対して世論が攻撃した箇所

民衆が憤ったのは以下の箇所である。

第6編要約の(4) 仇討ちは良くない。したがって吉良を殺した浅野家の家来を赤穂義士と唱えるのは間違っている。

第7編要約の(5) 権助なる下僕が主人の使いに行き、1両の金を落としたためにその責任を取って並木の枝にふんどしを掛けて首吊りをした事例と、忠臣義士が討ち入りをしてその身を捨てたのは、その死が文明に益することが無いという点で行動価値は同じである。

とりわけ第7編の(5)に於いて、忠臣と下僕の死を同一視したばかりか、杜甫が諸葛孔明の忠志を悲しんだ詩句をもじって冷やかしたために世間が憤ったのである。

杜甫の「蜀相」と題する漢詩の一節に以下の詩句がある。

両朝開齊ス老臣ノ心
師ヲ出ダシテ未ダ捷タズ身先ズ死ス
長ク英雄トシテ涙襟ニ満タ使ム

一方第7編において以下の文言がある。
「使に出でて未だ返らず身まず死す。長く英雄をして涙を襟に満たしむべし」。

「苟も人の誠実なる死を論ずるに嘲笑の語句をもってしたことは無用の過言で、人の当然の怒りを招くべきところであり、・・・」 と、小泉信三が巻末の「解題」の中で述べている。   以上

 







































































































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