平和への考察




ジョン ロック(英1632~1704)は、人間の自然状態では、人は理性に従い忍耐を以って行動して平和であったと主張した。その後人口が増加し資源が不足するに至り、貨幣経済の発達も相俟って経済的不均衡が生じ、それによって争いが生じたとしている。

ルソー(スイス1712~1778)もまた「人間の自然状態は、親切で幸福な生き物である。私有財産が発達し争いが生じた」という考えを主張した。

しかし農業が未だ行われず、狩猟採集のみで生活していた原始共産社会が平和だったとする考えには疑問が投げかけられている。

近年スーダンにおいて15000年前の遺跡から石製の矢じりが骨まで突き刺さり死亡したとみられる20体以上の遺骨が同一場所から発掘された。

ケニアでも一万年前の遺跡から鈍器で殴られて頭蓋骨が陥没した大人21人子供6人の遺骨が同一場所から発掘されている。

カント(独1724~1804)によれば、隣り合った人々が平和に暮らしているのは、人間にとって自然な状態ではない。いつも相手側の敵意に脅かされているのが自然の状態であるとしている。

現生人類の祖先は共通であり、約20万年前の東アフリカにいた一人の女性の子孫であることが、ミトコンドリアDNAによって判明している。そしてその一部がアフリカを出たのは6万年前とされている。

最近ヨーロッパにおいて更に古い時代の現生人類の遺骨が発掘されたと聞いており、アフリカを出たのは6万年より更に古いようだが、ここでは従来の学説通り6万年前としておく。

そしてアジア大陸東端に到達したのは約4万年前である。アフリカから出て無主地へ移住したのは、安全と食物を求めて移動したと考えられる。

私の住んでいる鎌ヶ谷市の遺跡から29000年前の石器が発掘されており、隣の船橋市二和西遺跡からは33000年前に使われた石器が発掘されている。

日本は酸性土壌のため縄文時代以前の人骨は溶けて消失しているのが普通で、稀に発掘される人骨は、貝塚などで死体の周りに夥しい貝殻が一緒に埋葬されている場合である。

貝塚はいわばゴミ捨て場なので、そのようなところに死体を埋葬したのは奇妙である。たくさんの貝殻と共に埋葬すれば人骨が永く地中に残ることを知っていたのかもしれない。

年代の特定には物差しとなるAT層と呼ばれる地層がある。
AT層は鹿児島県の錦江湾北部沿岸にあった姶良(あいら)火山が今から28000~29000年前の千年間に何回も大噴火し、その火山灰が関東地方まで飛んで来て厚さ10cmほど堆積した地層で、年代を特定する重要な指標となっている。AT層の下か上か、そしてその層からどのくらい離れて出土したかによって年代を特定できる。

米科学アカデミーの最新の研究によれば、ベーリング海峡が陸続きになったのは35700年前で、再び海峡に戻ったのは、13000~11000年前であるとしている。

つまり2万年以上もの間アジア大陸と北米大陸がつながっていたので、東アジアに到達した人々の一部は2~3万年前に徒歩で北アメリカへ移動した。更にその一部は1万年前に南米迄移動した。

それゆえ日本人とイヌイット(エスキモー)、北米インデイアンそして南米のインデイオはモンゴロイド系で人種としての祖先が共通している。

このような酷寒の地を長距離にわたって移動したことは、当時定住していた場所で争いか飢饉などの不都合が起こり、弱い者がはじきだされて移住せざるを得なくなったと考えられる。

食物と安全が満たされていれば、現住地を離れて極寒の氷原を、あてどもなく徒歩で移動する必要はない。

いっぽう楼蘭王国が歴史の彼方に消え去ったのは、水が枯渇した為である。

マルサス(英1766~1834)の「人口論」によれば、食料資源全体量によって人口の絶対数が決まるとしている。現住地で食料不足が起きれば貧困と争いが発生し、生き延びるためには身の安全と食料を求めて移住するしかない。

日本における紀元前8100年ごろ、つまり縄文早期における日本列島全体の人口は約2万人だった(人口から読む日本の歴史 鬼頭宏 講談社学術文庫)。

地球全体でもその頃の人口は500万人ぐらいとされており、、そこから更にさかのぼる10万年前の人口は、地球全体でも1万人以下と推測されている。

そして石器時代を現代に彷彿とさせる好例がある。それはほぼ赤道直下にあるニューギニア島で、その脊梁山脈は4000~5000mほどの高さがあり、その中腹に山岳民族が住んでいる。
 
その山岳民族がギネスブックに載ったことがある。地球上で最も財産が無い人々ということで掲載されたのである。

赤道直下のため低地は暑いが、適度な高度の山地に居住すれば一年中恒温の環境であり、鳥獣や果物も豊富で食料や住居に困らず、服は腰回りに葉を巻き付けているだけである。

彼らの財産と言える物は、石器として使う石ころだけであると書かれており、まさに石器時代さながらの生活で、原始共産社会を現代に再現しているかのようである。

ところがこの地でも個人間の争いが大きな抗争に発展することが珍しくないそうである。この例を見ても、狩猟採集時代の社会が全く平和だったとするのは間違いだと言える。

要するに石器時代の狩猟採集生活の日々でも争いが起きていたということである。

農耕が始まって以来、富が蓄積され戦争が大規模化しただけである。富の蓄積は権力者を生み農耕奴隷が発生した。

トマス ホッブス(英1588~1679)が主張した「自然状態では万人の万人に対する争いが生じ、強力な支配的権力を必要とした」とする考えのほうが妥当と言える。

国家が無かった時代の部族間抗争は日常的と考えられ、戦争を防ぐには弱者が強者に貢ぐ朝貢が一般的であった。

現代の日本社会でも多人数で構成される組織においては、人間関係の軋轢が必ずと言ってよいほど発生し人々を悩ませているようだ。会社などの組織では、そこに属する人々を悩ませる大きな要因は仕事内容より人間関係のほうが多大と聞いている。

日本以外でも、例えば地中海に浮かぶマルタ島の諺に「小さな小屋に一人で住むほうが、他の人々と宮殿に住むよりいい」と言うのがある。どこの地でも人間関係の悩みがあるようだ。

ところで平和とはどのような状況を指すかについて、動物の世界を俯瞰することにする。人間と動物を並列に論じるのは承服できないとする向きもあるかと思う。しかし人間はその知能によって動物界の頂点に君臨しているだけで、もともとは地球上の動物の一種であるに過ぎない。

シートン動物記には「野生動物の最後は必ず悲惨である」という記述がある。野生動物の生活は毎日が命がけで、老衰で穏やかに死ぬことは無い。病気や怪我或いは老化で体力が衰えると、すぐさま天敵に襲われ食われてしまうのである。

弱い動物は生き延びるために過酷な環境に逃避するしかない。

水鳥が厳寒期の池にいること、そして草が乏しい上に雪崩の危険が常にあるカナディアンロッキー山脈の岩山の崖に野生のヤギが棲みついているのも、生き延びる為にやむを得ずそのような場所で生活しているのである。

野生動物における平和とは、死傷する危険が無い事、そして餌や水が不足しないことである。


人間も飢饉や戦乱の中で弱い者たちははじきだされ、新たな無主地に希望を求めて移動したと考えられる。

平和は無償で得られるものではない。

この稿では以下の順で記すことにする。



1 人間における平和とは何か

2 古代において平和を説いた人々

3 戦争の原因

4 戦争の抑止

5 包括としての考え

6 平和のための国際法と組織         
(ウェストファリア条約)

7 ケロッグブリアン条約

8 ジュネーブ条約

9 ハーグ陸戦条約

10 国際連盟

11 国際連合

12 国連軍

13 国際司法裁判所

14 国連憲章第7章

15 安全保障理事会

16 国際刑事裁判所

17 PKO

18 私見

19 結論






1 人間における平和とは何か



人間における平和とは、究極的に以下の3要件が満たされた状態を指すと考える。

1 生活してゆく中で、他者に命を奪われたり他者から傷害を受けたりしないこと

2 十分な食料と水を確保できていること

そして現代では以下の項目が追加される。

3 自由権を主眼として、それを支える参政権、社会権によって鼎立する「基本的人権」が確保されていること。


人間の歴史は即ち戦争の歴史であった。現在でも戦火で命が危険に曝され、食物にも事欠いて彷徨っている人々がいる。

いかなる平和も、たとえそれが正しくないものでも、最も正しいとされる戦争よりは良い。

例えば江戸時代は元和偃武以後、表面的には平和な印象だが、その内部では年貢や課役を強制的に課され、強固な階級制によって人権も蔑ろにされていた。しかしそれでも暗黒の室町時代よりはましだったのである。


2 古代において平和を説いた人々
孔子(BC551~BC479)の儒学が主張するのは性善説であり、仁と義を人間社会に行き渡らせれば、国家間の戦争を回避できるとした。

簡約して述べれば、仁とは他者への労わりの情であり、義とは道徳的に正しく生きることである。
   
孟子(BC372頃~BC289頃)は孔子の理想主義を性善説として理論化した。仁政を敷けば自然と国力が強化され敵は退散すると説いた。

孔子が生きていた頃、孔門十哲の一人である子路が、ある門番と会話したことがあった。その時門番は孔子を評して、「是知其不可 而為之者歟」・・・「実現不可能なことを知りながら、実現しようと取り組んでいる人」と言ったと伝えられている。

孔子は当時から一般人にも名が知られていたようで、且つその主張の実現性がほぼ不可能との認識を無学な門番でさえ持っていたようだ。

孔子は自ら主張したように、仁と義を備えた人格者であったと思う。
しかし大勢の弟子を連れて移動している時、疲れ果てて食べ物にも困ったことがあった。その挙句に強盗集団に襲われてひどい目に遭っている。
無人の荒野で強盗集団に仁と義を説いても全く効果は無かったようだ。

墨子(BC470頃~BC390頃)は他国への侵略を禁じる一方で、侵略されれば大きな災厄が訪れるとして、常々防御を固めることが肝要であると説いた。

孫子(BC544?~?)は戦争とは国家に損害や脅威を与えるものを罰する手段で、国家の繁栄と安定を守るための手段でもあると主張した。



3 戦争の原因
戦争とは、ある社会集団が別の社会集団と武力で戦うことである。それゆえ国の戦争と、国内の内戦を同一基準で記述しようと思う。どちらも人間の集団が殺しあう点で同一だからである。

内戦は確固とした国家が存在しないゆえに勃発する 。いわゆる後発国では政府が腐敗、非効率,政争、人材不足、権力の私物化、官僚主義、手続きの煩瑣などが内戦の原因になる。

議会制民主主義は今日最善とされているが、必ずしもそうではない。多数派は政策を実現できるが、少数派は納得せず北アイルランドのIRAやスペインのバスク地方におけるETAのようにテロリズムという暴力に訴えることがある。

パレスチナに於いては、2006年にアメリカの働きかけにより民主主義のルールに従って選挙を行うように働きかけた結果、イスラム原理主義組織であるハマスが議会の多数派を占め、イスラエルとの戦争状態を深めている。

1領土侵奪
領土を拡大するメリットは、第一に国防であり、第2には経済的利益拡大である。金属 石炭 原油などの資源確保のため他国の領土を侵略することがある。

現在では産業変化により土地は必ずしも国富ではなくなった。 領土を拡大しなくても 経済を発展させ貿易によって富を獲得する道もあるが、国防を目的とする侵略戦争がある。
 
理不尽にもこちらの領土を侵奪し、一方的に領有権を主張している相手に対しては全く譲歩することはできない。そのような国に対し速やかに退くように話しても、穏やかに撤退するとは考えにくい。要するに話し合いの余地はなく、武力で対抗するほかに手段は無い。

アメリカ西部開拓史において、犯罪に巻き込まれて警察組織である保安官事務所に訴え出ようとしても、そこに行き着くまで馬で片道3日ということが珍しくなかった。そのような辺境の地では、殺されて荒野に埋められてしまえば、永久にその犯罪事実が露見することは無いであろう。

つまり人里から隔絶した荒野で武器を持った強盗に襲われた場合、話し合いで解決する余地など無い。
たとえ強盗が要求する金品を差し出したとしても、命が助かる保証もない。

それゆえ人々は銃を携え自力救済で解決するよりほかに方途は無かった。アメリカ人に聞くと、現在でも「隣家」まで20マイル(32キロ)という場所はどこの州でもあるそうである。

或るアメリカ人の老母はそのような環境に一人で住んでおり、護身用に拳銃(hand gun)を2丁所有していて、玄関を出た所で射撃練習をしても誰にも迷惑は掛からないと言うことだった。
アメリカにおいて銃が全面的禁止にならないのは、全米ライフル協会の圧力ばかりでなく、そのような歴史の背景と現実があることが一つの理由である。

2民族、部族の違い
多民族、多宗教社会においては、経済的 社会的 政治的次元においての不平等が紛争になる。
国家内で圧倒的多数が同一民族である場合は内戦が起きにくい。 日本が好例である。但し同一民族間でも南北朝鮮のようにイデオロギーの相違によって分裂し戦争になることがある。

民族ごとに独立を実現しても、ボスニアのように政治的混乱を避けられない情勢となることがある。

非西欧地域では形式的に国家主権を備えていても、国内に対する統治能力を欠いている国がある。つまり国家と言える形が有っても、同一国内の部族間における内戦を抑止出来ない例もある。アフリカのルワンダでは、ツチ族とフツ族の間で凄惨な殺し合いが起きた。

ソマリア内戦は宗教、言語、文化を共有するが、氏族と呼ばれる血縁集団間で争いが発生した。

多民族国家でも必ず内戦が起きるわけではない。アメリカとオーストラリアは入植者と移民を主体にして形成された国家だが、民主政治による法と秩序 によって国としてまとまっている。
ベルギー、オランダのようにいくつかの民族が明確に分かれていて、互いの文化、価値、伝統を承認し紛争の無い国もある。

それに多民族国家を民族ごとに解体した結果、ユーゴスラヴィアのように武力紛争が生まれることもある。それぞれの民族が自らの政府を持つとしても、多数派が少数派を圧迫する状況が現出することがあるのである。

異なった民族が同一国家内において、不平等があれば解消し、平和で安定した関係を築くことを目指すよりほかはない。
アメリカは多民族、多宗教の国だが「自由」、「平等」という共通の旗印のもとに、曲がりなりにも国がまとまっている。
 
3宗教の違い

日本では民族全体に一つの宗教が浸透して、国民の生活のみならず政治をも左右しているということは無い。しかし外国では宗教が国民の重要なアイデンティティーになっている。自分たちが信じる宗教の教義を枉げて異宗教に譲ることは無い。


4正義の貫徹
正義は必ずしも一つではない。正義は国 主義 地域 部族 宗教 慣習によって異なることがある。つまり当事者の正義に従えば、相対立する立場の両者が共に正しいことがある。よって異なった正義が衝突して争いが起きる。

古代ギリシャのポリス間に共通の正義は無かったし、文明によっても正義感が異なる

そもそも正義は武力が対等な相手に求めるもので、強者と弱者は対等ではない。法と警察制度が整っていない社会では、弱者はいかに小さな譲歩で争いを脱しうるかの問題しか残されていない。

もしも強者が弱者に妥協すれば他国から侮られることになる。国際社会ではそれが厳しい現実である。

へドリー・ブル(オーストラリア1932 - 1985)の主張では 共通の正義概念が存在しないこの世界において、正義は非妥協的戦闘的姿勢を生み、むしろ国際社会における無秩序の原因としている。

しかし正義は必ずしも一つではないとしても、通底する意義を
「ローマ法大全」に見出すことが出来る。

ローマ法大全は、東ローマ皇帝ユスティニアヌス(482頃~565)の命によって編纂された市民法典で、その後の西欧諸国の法律に影響を与えた。

ローマ法大全には正義の定義について以下のように述べられている。

正義とは各人にその値するところのものを与えようとする不変且つ恒久の意思である。

そして正義には以下の3つの
重要な特徴を内含するとしている。

即ち 1 個人の重要性  2 個人に対する対応の不偏性  
3 個人の平等 である。

正義は法という形で成文化されると考えている向きもあるかもしれないが、必ずしもそうではない。

ナチスドイツや、アパルトヘイト時代の南アフリカがそうであったように、法が不正義を実践するための道具となることがある。

重要なことは、単なる議会制民主主義を目指すのではなく、基本的人権と平和主義を保障した高次の法である憲法の最高法規性、実体的適正手続き、司法の優位などによって具体化される「法の支配」の貫徹である。

4 戦争の抑止
国家の中核的使命は国民の安全確保である。開戦に突入する以前に、軍事行動を抑止することが重要である。戦争抑止のための案のいくつかを以下に示す。

1軍事力の均衡
イデオロギーや政治体制の形の違う国家間においては、軍事力の均衡のみが安定を齎す。
戦争に訴えることが各国にとって不利益となると自覚させることである。

米ソの冷戦下では双方の核が国際秩序維持の要になっていた。
世界大戦の再発が無かった理由は、正義を貫いて戦争をすれば、程なく核兵器の使用を余儀なくされ、地球全体に壊滅的打撃を与えるので避ける思いがあったためである。

軍事力において一国で国防を実現できる国家はごく僅かであるから、十分な軍事力を持つ他の国と同盟を結ぶことが考えられる。大事なことは敵対していても、こちらから攻撃しない限り相手も攻めてこないという互いの信頼があることである。

それゆえ自国の受ける惨禍を恐れない相手に対しては抑止は成り立たない。そして核兵器による反撃の可能性は無いと勝手に考え、戦略を遂行する敵に対しても抑止効果は無い。

国際連合による平和維持の実効性は期待できない。その結果現在でも国際社会は無政府状態とも言える。

力の均衡による戦争抑止はリアリズム(realism)と呼ばれ、古代からそして現代でも通用する考え方である。戦後日本は日本国憲法によって戦争を忌避しながら、日米安保によるアメリカの核による抑止の傘のもとで安定を享受してきた。

力の均衡によって戦争を排除することはできないとしても、強大な軍事力を持った国の出現を阻止することはできる。つまり現状を保持し相対的な安定を維持する機能はある。

いっぽうテロのように、国家ではない主体による暴力行為は、他国の軍事戦略による解決は困難で、これらは当該国の警察活動によって対処すべき事柄である。

テロ組織を支援している国家に対し軍事力を行使しても、例えばイラクのようにフセイン打倒後かえってテロが激化した事実がある。

核開発国に対する対応策には、1軍事力行使、2国際的な対話 3経済制裁などが考えられるが、現実問題として経済制裁が合理的と考えられる。現在では力は軍事力だけに限らないという新たな考えも生じている。

しかし経済制裁は相手国の統治体制上から配分システムに不公平があることが多く、不利益をこうむるのは大部分の民間人ということが多い。

2 経済と政治におけるリベラリズム(liberalism)
市場経済の進展によって国家間の貿易が拡大すれば、相互依存が強くなり戦争を忌避するという判断が増すと考える。この考えは経済的リベラリズムとよばれ、古くはイギリスの経済学者アダムスミス(1723~1790)が著書「国富論」において述べている。

第2次世界大戦勃発のように、輸入制限や為替管理などによる経済のブロック化が戦争の原因になるので、国境を撤廃し人の移動も経済取引も自由に交流する国際社会を作ることを目指す方法もある。

ヨーロッパ諸国はその事に気づき、現在EU(欧州連合)という名の経済同盟がその理念のもとで運営されている。 EUは 必ずしも順調に進展しているわけではないが、世界平和への歴史的に壮大な試みではある。

しかし経済のグローバル化は、相互依存の増大を招き市場経済の勝者と敗者を生み出し、貧富の差が拡大する傾向がある。貧富の差が拡大することは社会に不安定をもたらす。それゆえ経済の相互依存の発展が必ずしも戦争を抑止するとは言えない。

更に経済のグローバル化によって、国家以外の主体が国家を媒介とせず相互に結び付く事態が予想され、国家が管理できない状況になる可能性もある。

もう一つの考えは政治的リベラリズムと言われ、国内政治の変化が国際関係に変化をもたらすという考え方である。例えば民主主義政治においては、政治家は支持してくれる国民の意見の代弁者である。その結果政治家は国内社会の理念や利益を反映することになり、国内政治と国際政治の結びつきが生まれる。つまり民主主義政治においては社会が政治権力の主体と考えることが出来る。
国民が戦争より平和を選べば、政治権力は平和に向かわざるを得ない。
この説を最初に唱えたのはドイツのカント(1724~1804)でその著書「永遠平和のために」に書いている。

安定した民主主義国の間で行われた戦争は歴史上存在しない。民主化が戦争を回避できる根拠は無いが、民主主義を普く全世界に浸透させることは戦争を抑止する一つの手段と考えられる。

この理念を実践した人物が、第28代アメリカ大統領ウィルソン(1856年~1924年)である。彼は第一次世界大戦が勃発した原因を欧州における専制政治であるとし、それを排して民主政治を拡大することが平和達成の条件であるとした。ウィルソン主義と呼ばれるこの考えは、その後の国際社会に大きな影響を及ぼし国際連盟設立に至った。

しかし各国家に主権がある以上、他国の統治体制に外部の第三者が口を出すことは、内政干渉となり国家主権を侵すことになるので事実上難しい。

仮に独裁政権を倒しても、民主政治が実現するとは限らない。その担い手となる受け皿がその国内に育っていなければ実現しない。

誕生間もない民主主義国が多いと、政治的リべラリズムの理念実現は困難となることが予想される。なぜなら対外的偏見を持った世論が政治を動かすことになる可能性があるからである

3 相互に軍事力武器を放棄 

絶対的平和主義と言われるものである。軍事力を放棄すれば大量殺戮の悲劇は免れるであろう。
しかし人間が作る社会である以上争いが絶えることは無い。そのうえ国際社会の国々すべてが一斉に軍事力を放棄することなどありえない。歴史上国際社会は一度も完全無欠になったことは無い。

武装している集団の中で一部の人々が武装を完全に放棄すれば、周囲から軽侮されるばかりか危険な目に遭う。

夥しい数の銃が国民の間に広く行き渡り、それによって毎年多数の国民が死傷しているアメリカ社会において、銃の廃棄運動が起きたことがあったが完遂などできなかった。それは裏社会の人間のみに有利になり、善良な市民の安全が脅かされる効果しか齎さないと考えられたからである。

4 他国への侵略を認めない。

この説は戦時下において戦争反対と書いたプラカードを掲げてデモ行進しているのに似ている。

侵略があった場合、それに対抗するためには排除しうる軍事力が必要であるが、とめどない軍備拡大は国際社会に不安定をもたらす。

そこで他国への侵略を違法化し、国際社会が一致して対抗する集団的安全保障の理念が生まれてくる。問題はそれが実効力を持って実践できるかどうかである。

5 対話

戦争抑止のために、いかなる時も話し合いは必要である。しかしイデオロギーや宗教の違う者同士が話し合って、互いに譲歩し円満な結論に達することはない。譲歩とは自国の利益を犠牲にしても協調を目指すことである。

自民党と共産党がTVで公開討論をした場合、互いの主張を認め合い和やかな笑みをたたえて握手し別れることなどあるだろうか。
国際社会において宗教の違いによる確執は更に甚だしく唖然とするばかりである。

5 包括としての考え


法の支配の確立が国際社会における平和構築に有効な方法であるが、その実現は極めて困難である。

国際社会を一つにまとめるには権力が必要であるが、国際連合が世界最高の権力を持つということは無い。なぜならそれを担保する軍事力と資金力の裏付けがないからである。

国内における治安維持は、国内の他の集団ではありえない規模の軍事力と警察力を国家が独占し、私的集団の違法行為に国家が法的制裁を加えることによって完遂される。

国際社会においては、ローマ教会から国際連合に至るまで国家より上位の権威は存在したが、国家の行動を抑制する実効的支配権力を保有する団体は無かった。

現在の国際社会においても世界各国に対し命令を下したり制裁を加えることが出来る権力は存在しない。

国連が各国政府より大きな権力を持つとしても、それを保持し担保する軍事力と資金力は無いし、そもそも常任理事国の一つでも反対意見を表明すれば議案は成立しない。

第2次世界大戦後、世界を統制する政府は無かったが米国という軍事大国が担ってきた。

しかしIMFの予測では近い将来、経済力において中国が米国を凌駕すると予測している。経済力は軍事力をも増大させる。それゆえ今後国際社会におけるパワーバランスが変容して米中衝突の怖れがある。

中国経済がこのまま成長し続けると言う考えは、識者の間で齟齬があるが、いずれにしても中国の動向を無視することはできない。


6 平和のための国際法と組織

国際法は多くの場合戦争という暴力を規制できない。そこが国内法との違いである。

そして国際社会の建前は主権平等で、紛争解決は当事者の意思に任せられている。

「30年戦争」は1618年にドイツにおいて勃発した戦争で、当初は同じキリスト教のカトリックとプロテスタントの間の争いだった。 しかしその後欧州全体を巻き込む大きな戦争に発展した。そして「30年戦争」は1648年に終結した。

その結末としてウェストファリア条約が締結され、神聖ローマ帝国は事実上消滅した。その内容は領土と主権を尊重し、内政には干渉しないとすることだった。

ウェストファリア条約以後、ヨーロッパ社会においては国家を併合する強大な宗教権威と国家との間が分断された。主権国家より上位の権威や権力を認めないことになったのである。

そしてそれぞれの国々が主権を持ち、互いに内政不干渉の原則を打ち立てた。主権とは何人にも従属しない最高権力である。
基本的に主権国家は自ら合意した範囲でのみ権力を持ち義務を負い、国と国とは対等な外交関係という原則が確立した。
ウェストファリア条約は現在の国際法の淵源となっている。

国家主権とは何人にも従属しない最高権力であり、主権国家内では私闘を禁じ主権者が軍事力を独占する。国家の主権が絶対最高であれば、国民をどう処遇しようが国際社会の関知するところではなく、それは内政不干渉と表現される。

しかし今日では主権には相応の義務が伴うとされる。

国際政治の安定を保つ上で、国際法の遵守が必要である。
法の支配の確立が平和構築の有効な方法であるが、残念なことに国際法は国家間の合意を示しただけのものであり強制力はない。  

現在の制度に於いて、国際法としての条約が批准国の軍の行動を直接に規制するかどうかはその国の法制度による。つまり条約の国内法的効力を直接には認めず、それに応じた個々の国の国内法の制定による。

国内法の制定によって初めて有効となる国であっても、条約を批准し発効した場合、違反があったときには、少なくとも国家としては国内法を援用して国際法上の責任を免れることは出来ないとしている。しかしながら違反があっても国際機関に直接懲罰する力は無い。
この点が国際法は国家間の合意を示しただけのものであり、強制力は無いとされる所以である。  

人類は戦争を回避するために、機会がある毎に会合し、話し合いをしてきた。その結果が様々な条約として成文化された。それらを以下に示すが、残念なことにどれも有効な抑止になったことは無い。

7 ケロッグ ブリアン条約(パリ不戦条約)

第一次世界大戦後に、多国間でケロッグ・ブリアン条約が、日本を含め、アメリカ合衆国、イギリス、ドイツ、フランス、イタリアなど15カ国で調印し、1928年(昭和3年)08月27日に締結された。のちソ連を含め63ヶ国が加わった。

この条約は、単に「不戦条約」ともいい、国家間の紛争は平和的手段のみで解決をはかることが規定された。その内容の骨子は以下の通りである。

1 国際紛争解決のために戦争を行わない

2 国家は政策の手段としての戦争の放棄

しかしこの条約の欠点は、一部国家の既得権益を追認するものでしかなく、主権に基づくヨーロッパ公法の伝統に背反していることにある。
それに侵略についての言及が無く、また「国家の政策の手段としての戦争」(第一条)についての詳細な定義を置くこともなかった。

この不戦条約の侵犯をした第一号はソ連だった。1929年にソ連は満州に侵攻した。
その後日本が1931年に満州を制圧し、イタリアが1935年にエチオピアを支配し、ドイツが1930年代後期に領土拡大を開始したことによって、この条約はまったく無力な条約であることを露呈した。

8 ジュネーブ条約

戦時国際法としての傷病者及び捕虜に対する人道的扱いに関する条約で1864年に締結された。2018年において条約締結国は196ヶ国である。

ここに定められた違反行為に対し、締約国は重大な違反行為に対する有効な刑罰を定めるための必要な立法を行うこと、重大な違反行為を行い、又は行うことを命じた疑のある者を捜査することと定められている。国際機関が直接違反行為者を罰するのではなく、それぞれの国が立法して刑罰を与えよとしている。

9 ハーグ陸戦条約

ハーグ陸戦条約は、1899年にオランダ・ハーグで開かれた第1回万国平和会議において採択された「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」並びに同附属書「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」のことである。 日本は1911年(明治44年)11月6日に批准した。

この条約は戦争の廃絶を目指したものではなく、戦時における殺し合いの仕方や捕虜の扱いにルールを導入したものである。
しかし現在に至るまで、戦地の現場で守られたことは無い。

10 国際連盟

第一次世界大戦を終結させたパリ講和会議の後、ベルサイユ条約発効とともに1920年1月10日に発足した。 目的は平和維持である。

連盟の原加盟国は42か国で、1934年に58か国と最多となった。そのうち1946年に解散されるまで加盟していたのは23か国(自由フランスを含めると24か国)である。

しかしアメリカが参加せず、ソビエト連邦も1934年まで加盟せず、一方、1933年に日本とドイツが,1937年にはイタリアが脱退した。ソビエト連邦は1934年9月18日に加盟したが、1939年12月14日にフィンランドへ侵攻し、その事が連盟規約に違反するため追放された。
これらの結果連盟の力は弱まった。

連盟は独自の軍隊を持たず、第一次世界大戦で勝利した連合国(フランス、イギリス、イタリア、日本は常任理事国)が決議を執行し、経済制裁を守り、必要に応じて軍隊を提供することとしていた。しかし制裁措置は連盟加盟国に損害を与える可能性があるため、大国は制裁措置を遵守することに消極的だった

1939年第2次大戦の勃発とともに,連盟の活動は事実上停止された

11 国際連合


国際連合は国際連合憲章の下で1945年10月に設立された国際機関で、国際平和と安全の維持を目的としている。

国際連合が各国政府より大きな権力を持つとしても、それを担保する軍事力と資金力は無い。

第二次世界大戦の戦勝国である中華人民共和国・フランス・ロシア・イギリス・アメリカの5ヶ国が安保理常任理事国であり、安保理議案への拒否権を持つ。安保理常任理事国のうち1ヶ国でも反対すれば議案は成立しないという弱点を内包している。

国連の活動を支える予算は加盟国が分担して負担しているが、アメリカが突出しており2位は中国で、日本は2022年の分担金において第3位の2億3080万ドルを負担している。これは常任理事国であるイギリス、フランス、ロシアより多い。非常任理事国に置かれながら3位もの負担を強いられているのは納得しがたい。国連の財政は有力拠出国が分担を拒否すればたちまち財政難に陥る。

日本が常任理事国の地位を獲得するには規定を改定しなくてはならず、その改定にも常任理事国全員の同意が必要なので難しい。多額の負担だけが押し付けられている。


12 国連軍 ( UNF=United Nations Forces)

国際連合が国際間の平和と安全を維持するために組織される軍であるが、国際連合憲章には「国連軍」という文言はない。

国際連合憲章 第41条に以下の文言がある。

第41条〔非軍事的措置〕

安全保障理事会は、その決定を実施するために、兵力の使用を伴わないいかなる措置を使用すべきかを決定することができ、且つ、この措置を適用するように国際連合加盟国に要請することができる。
この措置は、経済関係及び鉄道、航海、航空、郵便、電信、無線通信その他の運輸通信の手段の全部又は一部の中断並びに外交関係の断絶を含むことができる。


そして41条の履行が有効ではない場合、以下の42条によって軍事行動に移ることが出来るとされている。

第42条〔軍事的措置〕

安全保障理事会は、第41条に定める措置では不十分であろうと認め、又は不十分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍又は陸軍の行動をとることができる。
この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。

つまり安保理との特別協定に従って加盟国が兵力を出すことになっているが、この部分がいわゆる国連軍とされる。

安全保障理事会が軍指揮を執っている場合が国連軍であり、軍指揮を各国もしくは共同で行っている場合は多国籍軍である。

1950年の朝鮮戦争では、ソ連が不参加の安保理において朝鮮国際連合軍への自発的な参加をアメリカが各国へ呼びかけたものであったので、国連憲章の構想した「国連軍」とは異なり多国籍軍である。

つまり国連軍が今までに組織されたことは一度もない。

世界平和達成のための実践手段として立派である。問題は常任理事国の全員賛成を得ることが難しいことである。

安全保障理事会の常任理事国である米ソの対立が続き、更に台頭してきた中国の意向も予測がつかず、安保理常任理事国が全員一致で軍事行動を起こすことでの合意は難しくなっている。

13 国際司法裁判所 ( ICJ =international Court of Justice)

国際司法裁判所は国際連合の主要機関の一つであり、自治的な地位を持つ常設の国際司法機関である。
しかし以下のような問題点を抱えている。

1 当事者が提訴に同意しなければ裁判が始まらない。
強制管轄権の受諾宣言をしているのは、国連加盟全193カ国中67カ国(2012年8月現在)で、安全保障理事会(安保理)常任理事国の中では、イギリスのみである。

日本は、1958年に受諾宣言をしているが、日本と領有権を争うロシア、中国、韓国は受諾宣言をしていない。

国際司法裁判所では、基本的に紛争当事国間の合意なしに一方的に提訴があっても裁判を始めることができない。応訴を義務とした「選択条項受諾宣言」をした国は限られている

しかし、国家は、あらかじめICJの強制管轄権を受諾するかどうかを選択でき(選択条項)、紛争当事国の双方が強制管轄権の受諾宣言を行っている場合、一方的な提訴に対して応訴する義務が生じる。

ただし、受諾宣言をしていても、有効期間を設定したり、特定の紛争は除外したりと、様々な留保条件が付されている場合が多い。

2 判決に従う保証はない
世界は国家に分断されており、国際社会より上位の強制力を持った世界政府は存在しない ので判決を強制執行出来ない。尚且つ一審制で上訴することはできない。

実質的に裁判は国家にとって死活的重要度を持たず相手に譲ってもやむを得ない場合で、且つ当事者が裁判による解決に同意した場合にのみ行なわれる。

主権国家の集まりである以上、法は組織的に強制されず、国家の刑罰権のもとで安定している国内のような状況は期待できない。国際連合も国際司法裁判所の管轄下にない。


14 国連憲章第7章  

国連憲章第7章の規定のもとに、安全保障理事会は世界の平和と安全を維持または回復するために、経済制裁から国際的な軍事行動強制措置をとることができるとしている。39条~51条がその内容である。


国連憲章 第7章51条には自衛権についての規定があり、その全文を以下に示す。

この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。

この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。

また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。


それゆえ国際社会は国連憲章7章によって平和や安定への差し迫った脅威に対してあらゆる手段で除去することと保護することを正当とした。

近代国際法の重要な役割は、混乱や不正を国内にとどまらせることにある。しかし内乱を看過すれば国際社会に影響を及ぼすこともある。

そのうえ内乱は再発の危険が高い。人道援助をしても必ずしも弱者を救済できるとは言えない。ルワンダの例を見ても分かるように、人道援助が結果として犯罪者を救援し、援助物資は略奪され 多くの難民が搾取されて不正な統治体制を助長した。

更に悪いことに人道援助活動者が武装攻撃され誘拐殺害されている。介入すれば一般市民の犠牲も多いが軍事介入のほうが悲惨さが少ないこともある。

15 安全保障理事会

国連憲章のもとに、国際の平和と安全に主要な責任を持つのが安全保障理事会である。理事会は15カ国で構成される。その内部構成は、常任理事国5カ国(中国、フランス、ロシア連邦、イギリス、アメリカ)と、総会が2年の任期で選ぶ非常任理事国10カ国である。

国連の他の機関は加盟国に対して勧告を行うのみであるが、国連憲章のもとに加盟国がその実施を義務づけられる決定を行う権限を持っているのは、安全保障理事会だけである。

常任理事国の反対投票は「拒否権」と呼ばれ、その行使は決議を「拒否」する力を持ち、決議は否決される。

よって常任理事国による武力行使があった場合に、それを抑止することはできない。

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻は国連憲章第2条4項の「武力による威嚇または武力の行使」に違反するとの認識を国連は示し、ロシアのプーチン大統領に軍事作戦の停止と撤退を求めたが、ロシアは加盟国が攻撃を受けた際の個別的・集団的自衛権を定めた憲章51条に従った決定だと主張している。

国連安全保障理事会もロシアを非難し、ロシア軍の即時撤退などを求める決議案を採決した。しかし常任理事国であるロシアが2022年9月30日拒否権を行使して廃案になった。


16 国際刑事裁判所(ICC=International Criminal Court) 

2003年に設立され、日本は2007年に加入している。
国際社会において集団殺害犯罪、人道に対する犯罪、戦争犯罪、侵略犯罪を犯した個人を、国際法に基づいて訴追・処罰するための、歴史上初の常設の国際刑事裁判機関である。

国連の主要な司法機関である国際司法裁判所との違いは、国際刑事裁判所が個人の犯罪を扱うのに対し、国際司法裁判所は国家間の紛争を扱うという部分に、大きな違いがある。

国際刑事裁判所は、各国の国内刑事司法制度を補完するものであり、関係国に被疑者の捜査・訴追を真に行う能力や意思がない場合等にのみ、国際刑事裁判所の管轄権が認められる。

しかし犯罪の実行地国または被疑者の国籍国が非締約国であって、当該非締約国が裁判所の管轄権を拒否した場合は裁判にならない。

ただし、実行地国及び被疑者の国籍国が国連加盟国である場合、両国の意思に関わらず、国連安保理が憲章第7章下の決議で付託した場合は国際刑事裁判所は管轄権を有する。


しかし アメリカ合衆国、中華人民共和国、ロシア連邦の三か国は未加盟であり、これら安保理常任理事国が未加盟であることは重大な欠陥と言える。


17 PKO
PKO ( Peace keeping Operations)= 国連平和維持活動は、国連憲章が予定していた安全保障理事会による国際の平和及び安全の維持が十全に機能しなかったため、紛争地域の平和の維持を図る手段として出来たものである。国連憲章上明文の規定はない。

対応を迫られる紛争の多くが、国家間の紛争から国内における紛争又は国内紛争と国際紛争の混合型へと変わった結果、国連PKOの任務も多様化している。

すなわち、停戦や軍の撤退等の監視といった伝統的な任務は引き続き重要であるが、これに加え、元兵士の武装解除・動員解除・社会復帰や治安部門改革、選挙、人権、法の支配等の分野での支援、政治プロセスの促進、紛争下の文民の保護など多くの分野での活動が国連PKOの任務に加えられてきている。


18 私見

既にリアリズムで述べたように、現在でも国際社会は無政府状態である。他国からの軍事侵攻に対応する策は、屈服か反撃しかない。屈服は領土と生命財産を失い自国民に多大な犠牲を齎す。

自衛のための戦争は個別的か集団的であるかを問わず、主権国の固有の権利であり、国連憲章第51条に定められている。

その一方、自衛戦争のあと安全保障理事会が自衛行為を中断させ強制措置をとることは無い。

あと一つは、他国か国際機関に救いを求めることである。国際機関が当てにならないことは既に述べた通りである。

そもそも国際政治の場では、自国の利益を守り拡大することが常道である。日本人の美質である謙譲、思いやり等は全く相手に期待できない。

地球上に各国を超越する資金と軍事力を持った世界政府を樹立し、他国を侵略する国際法違反国に対し制裁を加えられる体制の確立こそが国際社会に平和をもたらす。

平和を壊すのは軍隊による力の行使であるが、平和を保つのも軍隊である。

現在の国際社会においては、国際法に違反する国が出現しても、それに対し制裁を加える世界政府のようなものは存在しない。 国際社会においては強制力を以って法を執行する主体は無い。

世界政府樹立には世界中の国々すべての賛同が必須である。ところがウェストファリア条約以後、各国には国家主権があり強制的に賛同させるわけにはゆかない。世界政府樹立をするには各国が主権を放棄しなければならない。

国連を世界政府に転換すべきとの議論は、第2次大戦後発案されたが、アジア、アフリカの多くの国々の反対で実現しなかった。
その理由はその当時の弱小国の国力、軍事力、面積などの格差が固定され不平等を是認することになり、戻すことが困難と考えられたからである。

結局は力の優位にある米国が、国際社会の公権力を行使することを黙認せざるを得なかった。
しかし軍事力や倫理観に富んだ国家が制裁者としての実質を重ね事実上の警察官になっても、その地位が公認されることは無い。それは国際社会にとって自己否定になるからである。

人間の集団でも、国家の集団でも同じだが、意見が全員一致すると言うことは無い。通常5%の構成員が反対の立場を主張する。それを押しつぶして強行するのは、民主主義下における95%の多数意見であり、民主主義国家の国民は政府に権力をゆだねているので従わざるを得ない。

国際社会においては全ての国々が主権を放棄し世界政府に権利をゆだねるとは考えられず、しかも大国が参入しなかった場合の世界政府は単なる虚構になる。それゆえこの案の実現はほぼ不可能であり、今後の可能性も乏しい。

他の案は力の均衡である。国家の存立を持続させるために、自国の武力を増強し、或いは十分な軍事力を持つ他の国と同盟を結び、仮想敵が攻めてきても敗北しない状況作り出すことである。

イデオロギーや政治体制の違う国家の集まりである国際社会においては、軍事力の均衡のみが安定を齎すことは冷厳とした事実である。冷戦下において米ソ間において平穏を保ったのは核爆弾の脅威による抑止力だった

いかなる時も武力に訴える前に話し合いをする必要がある。
しかし話し合いの場に臨むには、予め双方が何らかの譲歩案を持たなければ決着がつかない。
強者が弱者に妥協することは考えられない。もしそうすれば強者は他国から侮られるだけである。

厳しい国際社会の場では、日本人の美質である他者への気配り、忖度、謙譲、憐憫の情などは無い。

日本人社会では真摯に謝罪すれば、慰謝料、賠償金、弔慰金などの名目の金銭支払い無しに許される例が無いわけではなかった。

しかし国際社会の多くの国々では、謝るということは即ち金を出すということである。国家でも個人でも謝ったことの帰結として金を出さねばならない。日本人の感覚で謝罪外交すれば済むわけではない。

国際関係とは冷酷な力の関係である。

レバノンの格言に
「もしも盲人に出会ったら、地面に投げ倒して弁当を盗むのだ。なぜならおまえは神よりは情け深くないのだから」
というのがある。(アラブの格言 曽野綾子著 新潮新書86頁)


19 結論


今後人類が生存する限り、国際社会において戦争が根絶することはない。その理由は上記で縷々と述べた通りである。

有史以後の国際社会を見ても、穏やかで温かい理想的な社会が形成された事はなかった。

それは我々個人が接する身の回りの社会でも同じである。
人格者や犯罪者が混淆しているのが現実の普遍的社会である。温かい心情の人格者だけで構成される社会を希求しても永遠に来ることは無い。

それゆえ我々は国際社会において、今後も戦争に対処する方法を模索しながら生きてゆかざるを得ない。

戦争抑止のために、その実現性はともかく、3つの案が考えられる。それは以下の通りである。

1 世界政府の樹立


理想的な案ではあるが、その実現はほぼ不可能である。
その理由は既に(18)で述べた。


2 地球上の国々に対し普く民主主義国家に変容するように働きかける。

民主主義国家が戦争に踏み切る危険が少ないとされていることを根拠にしている。この案のほうが(1)案より実現の可能性があるかもしれない。それによって成立した民主主義国家においては、それぞれの国の主権は温存されるからだ。

それにしても世界の国々がすべて民主主義国家に変容することは極めて困難である。民主主義が成立するためには、国家として国民がひとつにまとまっていなくてはならない。しかしアフリカや中近東の多くの国々では地図上に国境線が引かれてはいるが、住民に国家の意識は薄い。

かれらにとって大事なのは、国家より自分が属する部族社会である。国家より自分の部族の利害を優先する。

しかしながら民主主義を推し進め、それらの国家同士が同盟を締結し、敵対する国に対し軍事力の均衡を以て戦争の抑止をはかるという方策は無視できない案ではある。

3 軍備を増強し、或いは連盟し仮想敵国に対して軍事力の均衡をはかる。その結果戦争になった時の悲惨さに互いが恐怖し、その感情が戦争抑止になる。

現実の場では、順序としていかなる時でも先ず話し合いの場を持つことが肝要である。但し既に述べたように話し合いで解決する余地は限られている。


要するに国際社会が呻吟し営々と試行錯誤して現在にたどり着いた現行の制度と対応を、このまま維持続行するより外にない。

人はいかに健康に注意していても、死に至る病気を避けられないことがある。そして時には生き延びるために、激しい痛みを伴った命がけの手術をしなければならない。病気を忌み嫌い、病気反対などとプラカードを掲げてデモをすれば解決することではない。
人類と戦争の関係はそれに似ている。

以上


参考文献
平和政策 大芝亮他 有斐閣ブックス
平和について考えよう 斎藤環他 NHK出版
違法の戦争合法の戦争 筒井若水 朝日新聞出版
永遠平和のために カント 集英社
国際紛争 ジョセフSナイ 有斐閣
戦争と平和の世界史 茂木誠 TAC出版
戦争の条件 藤原帰一 集英社新書
戦争とは何か 多胡淳 中公新書
平和のための戦争論 植木知可子 ちくま新書
戦争をしなくてすむ世界をつくる 田中優 合同出版
戦争の論理 兵頭二十八 PHP研究所
平和構築入門 篠田英朗 ちくま新書
国際正義の論理 押村高 講談社現代新書
法哲学  レイモンド・ワックス  岩波書店

その他

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