名刀の条件

長く刀剣の研ぎに関わっていると、名刀の条件とは何かを考えさせられる事があります。そこで名刀の定義と、そのいくつかの条件について改めて考えてみることにします。
なお誤解の無い様に申し上げると、この稿は古来からの名刀を貶める事ではなく、時代を超えて評価を与えられている根源について言及するものです。
思いつくまま名刀といわれる条件を列挙すると以下のようになります。

1 姿が良い  
2 地鉄が冴えている  
3 鍛えが良い  
4 刃文(はもん)が美しい 
5 刃文が冴えている  
6 持った時のバランスが良い  
7 よく切れる

1 姿が良い  

                               
このことに関して、古刀については殆ど該当します。 
特に鎌倉時代以前の太刀の姿は美的に優れているだけではなく、崇高な雰囲気さえ漂っています。
古名刀の中心(なかご)を含めた総体の姿は、一般の方々から見れば簡単に模倣できるとお考えになるかもしれません。
しかし後世に写しが数多く作られはしましたが、それらは確かに似てはいるがどこか堅さがあり、枯淡で自然な姿を再現した刀工は少ないように思います。  
江戸時代以降について見てみましょう。
肥前新刀は総じて姿がよいものが多いですが、播磨大掾忠国は例外的に反りが浅くて品位の下がる印象のものがあります。 

虎徹は一般の人々でもご存じの名刀ですが、俗に棒反りと称せられ、決して見栄えの良い姿ではありません。
虎徹に私淑したと思われる三善長道は更に反りが浅く、直刀に近い姿で、姿から見れば決して名刀然とはしていません。 
総じて寛文期の刀は反りが浅く先幅が狭くなり、切先が僅かに延びる傾向があります。 剣道の「突き」に好都合な姿などと言われていますが、実用にはいざ知らず少なくとも美的には見劣りがするものです。

新刀も元禄期に入ると、そりが深く、切先のフクラが張り心になり、地の肉置きが豊かで見栄えのする体配が多くなります。私はこれを元禄体配と名づけております。

 新々刀期に入ると大阪に助隆がいますが、この刀工の脇差しの姿は、まるで刀を折って大磨り上げにしたような不恰好な姿が特徴となっています。

 以上をまとめると、殆どの古名刀の姿は良いと言えますが、新刀期以降は名刀とされている刀でも必ずしも姿が良いわけではないと言えます。                   
2 地鉄が冴えている 
地鉄の冴えは地鉄固有の質と、それに焼き入れの二つに大きく左右されます。
焼き入れの際、刃文だけに焼きが入るのではなく地鉄にも焼きが入ります。刃文と地の焼きの強さは相対的な問題で、刃文の部分の方が地より焼きが強いというだけです。
もし地の方に焼きが入っていなければ、水影の手元のように白く弱い地色になります。
冴えは焼きの強弱と密接な関係があり、焼きが強いと光が強くなります。しかし質の悪い地鉄に強く焼きを入れても、ぎらぎらした品位の無い光が強くなるだけで、冴える事はありません。冴えていると言う事は、地鉄が明るくて澄んでいると言い換えても良いかと思います。冴えは焼き入れ技術の他に、地鉄の質のよしあしに大きく依存します。
 
地鉄が冴えると言う事と、いわゆる映りとは相反する関係にあると言えます。
映りには山城のにえ映り、備前の影映り、美濃の白け映りなどがありますが、冶金学的な由来は同じです。地鉄に関して、新刀と古刀との地金の相違を概括的に言えば、古刀は映りに類する働きが有るものが多いということです。映りに類するものとは、白気も含まれます。
美濃刀はもともと地鉄の色が日に焼けて色褪せたような色合いで、その上に白けがかかっているので、冴えないものが多いといえます。
備前刀の場合は、研ぎの工程での地艶砥の段階で、やり方によっては地色が冴えてきます。しかし反面あまり地艶砥で地色を良くすると、映りが倒れて見えにくくなる事があります。
そのため影映りが判然とするように地艶砥を使うと、地色が冴えないということもあります。
地鉄について全国的に俯瞰すると、脇物は地色が濁る傾向にあります。
以上をまとめると、古名刀の全ての地金が冴えているわけではありません。
一方新刀、新々刀期の地鉄は古刀の映りのような景色は一部の流派を除いて無いので、差異こそあるものの名刀と言われている刀は、ほぼ研ぎによって冴えてきます。

3 鍛えが良い
地鉄の良し悪しは冴えの他に鍛えがあります。もっとも冴えてはいるが鍛えが良くないという刀は見た事が無く、両者は一体と考えられますが、鍛えが良くても個々の刀工によって地鉄の冴えに優劣があります。
鍛えは鍛え肌となってあらわれます。 結論を言えば鍛えの良し悪しとは、鍛え肌が総体に揃っている状態が良いと言えます。
揃っているとは、鍛え肌が大板目、小板目、杢目などいずれであっても同じ肌目の種類で、且つその大きさが元から先までほぼ揃っていると言う事です。

例えて言えば、刀のある部分は小板目が揃って綺麗だが、少し離れたところは緩んだ大肌となるなどという状態は鍛えが良いとはいえません。ふくれがあるなどは論外です。

   肌目が揃っていても、ひどく粕立っているものは出来が悪いと言わざるを得ません。
さらに地鉄に地景、金筋、稲妻が入る高度な技術を持った刀工もいます。但し新刀以降には、地鉄に変わり金を混ぜて鍛え、それを地景風に見せる場合がありますので注意が肝要です。
以上述べたように、鍛え肌の肌目が揃っているのが名刀の条件ですが、かなり上位の名刀でも荒れた肌が混じる例があります。来国俊、虎徹などがよく知られていますが、やはりそのような状態は無いほうが良い事は言うまでもありません。
目立つような鍛え割れがある刀は、名刀と言うには程遠い印象がありますが、繁慶は鍛え割れのない方が珍しいという刀工です。
4 刃文が美しい
華麗な重花丁子、濤乱乱れなどは、美しいだけではなく技術的に真似の出来ない難しさがあるようです。
一方鎌倉初期以前の刃文のように、技巧的ではない素朴で枯淡な刃文は、具眼の人々から高い評価を与えられています。
そして室町末期の末古刀や新刀期には、三本杉など規則的な刃文や、菊水刃などの絵画的な刃文が現れてきます。しかし技術的には巧緻なのでしょうが、それらは枯淡な品位が乏しい印象がいたします。
5 刃文が冴えている
刃文が冴えているとは、明るいということと一脈通じるところがありますが、同一ではありません。
大阪新刀はかなり明るく冴えたものがあるし、新々刀にも冴えたものがありますが、古名刀にくらべていかにも匂口が若い印象です。
古名刀でも、山城の国安、定利、了戒、備前の国宗、周防の清綱、肥後の国時などには刃文の一部が潤んだり、染みるのが特徴となっているものもあります。

波平、豊後行平など古い九州物、及び舞草は総体的に匂口が潤む感じがします。
豊後行平は大変な名刀とされていますが、古来自身再刃といわれており、実際手にとって見ると、確かにいくらか脱炭して地鉄が弱く、しかも古い九州物の特徴ではありますが匂口が総体に潤んでおり、見た瞬間に再刃?との印象を受けました。
概して にえは時代が下がると名刀といわれる刀でも粗くなり、輝きを失って暗くなります。安綱のにえは粒が大きいにもかかわらず輝いており驚嘆に値します。

繁慶は則重に私淑して範を求めたと思われ、かなり高慢な言辞を吐いたように伝えられていますが、にえの明るさと刃文の冴え、そして地鉄の冴えにおいて懸隔があります。
どうにか にえが輝いていると言えるのは水田國重あたりまでではないでしょうか。それ以降は黒いにえが地にこぼれており、それは新々刀の特徴となっています。

6 手持ちが良い  
手持ちとは、なかごを裸の状態で或いは柄をはめて持った時の感じを言います。
均衡のとれた刀は同じ重量でも軽く感じるものです。概して先が重く感じる刀は作位が低いものが多いといえます。
一方 鎌倉初期以前の太刀を握ると、反りが深くなかご自体も反っているためか、左右にクラクラと傾く感じがします。

7 よく切れる
実用刀として兼ね備えているべき条件は、折れず曲がらずよく切れるということです。刀本来の目的から言えばそういうことにはなります。
しかし名刀といわれる刀がよく切れるかどうかは疑問です。国宝や重文の太刀で斬り試しをすることはないでしょうが、平安時代に作られた国宝の細身の太刀がよく斬れるとは思えません。
備前刀の中には、もともと炭素の含有量が低くて地鉄が柔らかい為か腰が弱く、曲がり易いものがあります。

その一方 炭素含有量の多い新刀期の刀は、厳寒の満州で使用したところ、折れたという話を聞きます。新刀期以降の刀は、刃が硬くもろい傾向があります。
折れず曲がらずよく切れるという条件を満たすのであれば、室町時代末期に美濃国関で作られた刀が該当します。 手持ちが軽くて刀身が強靭であり、しかも刃に粘りがあって刃こぼれがしにくい性質を備えています。

合戦の要衝地である関ケ原の近くに立地し、刀や槍の供給地として関が栄えた歴史があります。それゆえ実用に特化して末関刀は進化したものと考えられます。
兼某と銘を切る多数の刀工が室町末期に関で活躍しましたが、名刀の評価を得た刀工は一部です

古来から
名刀鍛冶と言われる人々は、この稿の最初に示した名刀の条件を具備すべく研鑽した結果、折れず曲がらず良く切れるという実利的長所が自ずから刀に付随したものと思います。

最初から良く切れるという機能だけを追及するのであれば、鍛え肌が不揃いで粗く、鍛え割れがあっても差し支えない筈です。
実用的機能のみが優れ、美術的要素を欠いている刀は、名刀としての評価は与えられません。


8 結論 
日本刀の歴史の中で、鍛刀技術が最高峰に達した時期は鎌倉時代の中期から末期にかけてと考えられます。その頃に活躍して上記の条件をすべて満たし、欠点の無い作品を現在に遺している刀工が何人かいます。

しかしそれらは、名刀と世に喧伝されている多くの刀鍛冶の中ではごく一部です。

刀の良し悪しの評価は、総合的な判断で下されます。人間でも欠点の無い完璧な人格は稀であるように、刀もいかに多くの優れた特徴を備えているかによって、評価が定まるようです。
若い頃 ある新刀期の著名な刀を見て、もしその刀が無銘であれば、さしたる評価を得られないのではないかと感じた事があります。
その後 その刀を研ぐ機会があり、砥石を当てたところその砥当たりの良さに驚いた次第です。まるで古名刀に匹敵するほどの感触でした。
十目の視る所、十手の指す所、厳なるかな・・・・という言葉があるように、長い歴史の中で多くの人々の批評に耐えてきて名刀とされる刀は、やはり優れています。

     目次へ戻る